とある大学生の徒然日記

気の赴くがまま、暇な時に自分のために書きます。

久々の更新

大学のレポート提出期限やらテスト期間やらがだんだん近づいてきてプレッシャー感じてる。

親友は自分の夢に向かって忙しく、大学にはあまり来ないから、ずっと一人ぼっち…。

気が狂いそうだ…

こんな時、過去を振り返ってしまう。

受ける大学のレベル、妥協して低めにしても、部活やったり恋愛したりと高校生活楽しんだ方が良かったんじゃないか?とか、そもそも高卒で地元で就職してた方が幸せだったんじゃないか?とか…

このままだと将来上手くいきそうにないし、頑張って上手くいったとしても、常に何かに追われ続ける苦しい生活しか待っていないのでは…と思ってしまう。

大学合格目指してひたすら勉強してた頃は充実してたけど、もうつらい。

あの頃の崇高な理想はどことやら、燃え尽きてしまったようだ。

まだ若干20歳、1番頑張らなきゃいけない時なのにこの体たらく。

表向きの履歴では勝ち組と言われるかもしれないが、真の意味では誰よりも負け組だと思う。

というか勝ち負けじゃなくてそもそも不幸、それも自業自得、エゴのかたまりの所為だ。

まぁ生きてれば楽しい時もあるから何とか生きてるって感じ。死ぬ勇気もないし。

1人でも強く生きていられた(気がした)高校時代に戻りたい。あの頃は家族や塾の先生がいたから1人じゃないけど。

大学って、自分から働きかけて人の輪に入っていかない限り、独り放り出されてしまう残酷な空間だ。

もう今更後戻りできないし、怠けたらより暗く救いようのない将来が待っているだけ。

努力してちょっとはマシな人生にしなきゃ。

 

もがく。何とかもがいて生きていく。

 

三者三葉とかあんハピとか、日常系アニメが唯一の救いだったが、終わっちゃったしなあ…

はぁ〜

20歳7ヶ月の時に見た夕空

ゆるやかに、しかし迅速に流れていく雲。
雨上がりの夕空。
高校時代に聞いていた曲を聞きながら、あの時見ていた故郷の空は、今この時間、どんな感じなのだろうかと思いを巡らす。

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過去を回想しつつも、かつてのような後ろめたさはもう無い。
頭上に流れる雲のように、不安定な明るさの中を、漠然とした期待を抱きながら彷徨い続ける。
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口蓋扁桃摘出手術について その後の経過

術後41日が過ぎたが、術後4日目以降何も更新していなかったので、術後5日目以降のことを書く。

 

術後5日目、6日目は、術後4日目と院内での生活はほぼ変わらなかった。

ただし、瘡蓋ができたきたせいか、喉の痛み(というよりは突っかかり)は強くなり、煩わしさに悩まされるようになった。

6日目に経過は順調とのことで無事に退院し、以後は自宅で療養した。

 

術後13日目(退院から一週間後)に再び病院に診察を受けに行ったのだが、それまで瘡蓋の突っかかりは変わらず、相変わらず食事はやわらかめのものに限定して食べていた。

本来ならその診察で、扁桃摘出手術に関することは終わるはずだったのだが、喉にまだ炎症があるらしく、抗生物質や痛み止めをもらい、その次の週に再度診察を受けることになった。

「このまま痛みが続いたらどうしよう」と不安だったが、その次の日から食事の際の突っかかりが無くなっていき、痛み止めもいらなくなっていき、順調に瘡蓋がはがれていった。

術後15日目には普通の食事をとれるようになり、術後20日目の診察では、もうほとんど完治したということで、ポテチなどの硬いものを食べたり、お酒を飲んでも良いと言われた。

今では扁桃があったことすら分からないくらい、切除した部分は新しい粘膜に綺麗に覆われている。

 

先週、風邪を引き発熱したのだが、一番高くても37.5℃だった。

術後4日目~14日目まで、痛みや煩わしさがありつらかったが、やはり手術を受けて良かったと思う。

術後4日目

寝る前にも痛み止めを服用するようになったため、今朝までぐっすり眠ることができたが、起きた際には痛み止めが切れているはずなのに昨日よりも痛くないため、順調に回復してきているのだろう。

今日も薬を飲み、朝食を食べ、診察を受け、ネブライザーをやり、漫画を読むという流れだ。
入院生活が習慣化しているように感じるほど、喉の痛みを感じなくなってきているのだと思う。

今日は昼食の時に母が見舞いに来てくれたので一緒に食べた。
毎日来てくれているのでありがたい。
プッチンプリン美味かった。

ローゼンメイデンも全て読んだが、幻冬舎版の8巻にはまだ続きがあるようで、8巻までで一応完結すると思っていた私は続きが読みたくなった。
どうやら最近完結したらしい。
8巻の最終回を読んで、打ち切りになったのかとショックだったが、それを知り安心した。

いつの間にやら、入院生活も残すところあと2日となった。
明後日の午前に退院だ。
記念に病室から見える風景を撮っておいた。f:id:youtajinpooh:20160228195400j:image

術後3日目

術後1日目〜2日目の間の夜は、喉の痛みで何度か目覚めてしまったので、昨日(術後2日目)、主治医が病室に訪ねてきた際、夜も痛み止めを飲んでよいか伺ってみると、よいとのことなので、昨晩23:00頃に痛み止めを服用したら、途中で目覚めることなく、起床時間の6:20までぐっすりと眠ることができた。

今日(術後3日目)の朝食から、7分粥が出させるようになり、おかずも普通のものになった。
痛み止めを飲めばほぼ問題なく食べられるので、術後の経過は順調だろう。

もう点滴も外れたので、今日は病院の地下1階に行き、図書コーナーからローゼンメイデンという漫画を借りてきて、4巻まで読んだ。
麻生氏との関わりで聞いたことがあったので借りてきたのだが、読んでみるとなかなか面白い。もし暇なら後日感想を書こうと思う。

今日からシャンプーを使ってよいとのことだったので、術後初めてのシャワーを浴びた。
喉に温水を当てることで、温めてしまうと出血を招く可能性がある、とのことなので注意深く身体を洗った。
久々にさっぱりした。

流動食から5分粥まで〜術後1日目ー2日目

手術翌日の昨日は、夜から3分粥が出たがほぼ流動食と変わらず、食事は問題なく摂ることができた。
喉の違和感は残っていたが、痛みは鎮痛剤を飲み始めていたこともあり、それほど気にならなかった。歯磨きもうがいさえしなければしてよい、するべきだとのことなので、昼から歯磨きも始めた。

むしろ一番煩わしかったのは点滴だ。
流動食では不足する栄養分や、抗生剤を点滴していたのだが、管が繋がっているのでまず寝にくい。そして歩く際もガラガラと点滴を連れて行かねばならない。
食事がきちんと取れれば点滴も終わると聞いていたので、外してもらうことを心待ちにし、昨日の夕方、ついに最後の点滴が終わった。
これで外してもらえるかーーと思いきや!
3分粥、5分粥なども問題なく食べられることが確認できないと、食べられなかったらまだ点滴を続けるため、針はそのまま残すということに…。

結局針を付けたまま寝ることになった。
そして今日の未明、3時頃喉の痛みで目覚めた。
その後6:20に起こされるまで寝ることができたので、大分マシにはなっているが、どうやらかさぶたができてきているらしい。

朝食は昨晩と同じ3分粥と、おかずはほぼ流動食だったが、昼食は5分粥になり、おかずも固形物になった。
むしろ固形のおかずの方が食べやすいと感じた。
食事が摂れるということで、点滴の針も外してもらった。

まだ鎮痛剤の効果が切れるとかなり痛いが、点滴も完全に外れかなり楽になったため、出血しないよう気を付けつつ、辛抱していきたい。

扁桃腺摘出手術

昨日、ついに手術を行った。
手術を受けた方の体験談などを参照すると、術後の痛みや違和感がきついとのことで、鬱屈とした気分であったが、私の場合一番つらかったのは全身麻酔から目覚めてからの30分間だ。

目覚めたといっても目は開けられず、喉は痛いというか違和感が凄まじく、とにかく水を飲みたい気持ちだったが、水を飲めるのは病棟に戻ってから3時間経った後とのこと。
というか、30分間は、麻酔の効果が残っているので片言しか話せなかった。
看護師さんに「さむい!」とか、「ティッシュ!」とか、死に物狂いで叫ぶように言いつけたことはかろうじて覚えている。
なかなか失礼な言い方であったが、致し方無かったと思う。

病棟に戻ってからの3時間も、飲水を我慢するのがかなりきつかったが、母の介助もあり無事乗り切る事ができた。
水を飲むと大分楽になり、痛みもそこまでひどくはなく、むしろ痰が絡んでいるのに出せない煩わしさが不快だった。
その煩わしさは今も続いているが、(水を飲んだりトイレに行くために何度も目覚めつつも)一晩眠って大分良くなった。
現在は流動食を食べている。飲み込む際多少の痛みはあるが、ほぼ問題ない。
順調に回復しているものと思われる。

手術といえば、手術を行った建物が去年くらいにできたばかりの建物だったため、手術室は近未来的だった。
手術室といえば、白い部屋の真ん中にベッドがあり、暗いイメージがあったのだが、私が手術を受けた際の手術室はそもそも白くなく、明るいグレー?というかメタリックな色合いで、ベッドは部屋の中心に置いてあるが部屋自体はかなり広く、天井も高く、何よりも印象的だったのは手術室に入った際、明るい曲調の洋楽(ロック?)が元気に流れていたことだ笑

ともかく、主治医はじめ麻酔医など医師の方々、お世話をしてくれた看護師の方々、そして何よりずっと病棟で私に付き添ってくれた母に感謝だ。